教会について
聖マリア平塚教会について
1923年(大正12年)9月1日、関東地方一帯を襲った大震災により湘南地方の町や村は形なきまでに破壊し尽くされました。この瓦礫の中から再び立ち上がり一歩踏み出そうとする人びととともに、湘南地方に神の国の福音を携え歩んでいこうとの願いから、1924年(大正13年)、現在の代官町に借家(第一講義所)して伝道を開始しました。
半年後にはやや駅よりに新たに借家(第二講義所)、さらにその半年後にはその筋向かい、現在のJAビルが建つ場所に土地を得て、1926年(大正15年)に聖堂、牧師館、宣教師館を建築して教会を組織、R.D.M.ショウ司祭が牧師として定住し、「平塚聖マリヤ教会」(当時は漢字で「平塚聖嗎利亜教会」)と称するようになりました。
その後まもなく、教役者・信徒のための修養施設を建築、吉澤直江司祭により「習静館」と命名されました。宿泊と小さいながらも図書館を備え、当時を知る聖職は「誰も思いもよらぬ建物で、教役者の学問と人格の向上のためにしばしばわたくしどもがここに集められ、大変に役立てられた」と述懐しています。
太平洋戦争末期、1945年(昭和20年)7月の平塚空襲で宣教師館と習静館を焼失するも、間も無く迎えた終戦以降、焼け残った聖堂で礼拝を続け、戦禍によって傷つき行き場を失った人びとの心に福音のともしびを灯そうと、祈り、学び、伝道に努めました。
南口の再開発・区画整理により移転の必要に迫られ新天地を求めていたところ、1969年(昭和44年)、現在地の八重咲町、日立製作所の創業者である小平浪平の別荘地跡(屋敷は上述の空襲で焼失)を得、聖堂・会館・牧師館を建築し移転。大村六郎氏(レーモンド設計事務所) の設計によるモダンな鉄筋コンクリート造の聖堂は、この年の神奈川県建築コンクールで県知事賞を受賞。
大磯の「エリザベス・サンダース・ホーム」、「認定こども園あおばと」、「聖ステパノ学園」、平塚の「進和学園」、茅ヶ崎の「子どもの園」と、深い関りを持っています。
日本聖公会(Anglican / Episcopal Church in Japan)は、英国国教会(Church of England)を母教会として世界に広がる聖公会(アングリカン・コミュニオン)のひとつの枝(管区)です。1859年(安政6年)、最初の宣教師が来日して伝道を開始、現在11の教区に分けられ、全国に300余りの教会と伝道所があります。
関連施設として、国内(首都圏)には、立教大学(東京・池袋)、香蘭女学校(東京・旗の台)、聖路加国際病院・大学(東京・築地)、滝乃川学園(東京・国立市)、エリザベス・サンダース・ホーム(神奈川・大磯)、清泉寮(山梨・清里)など、多くの教育・医療・福祉施設を通じて社会の必要に応えようと努めています。
司祭 バルナバ 大野 清夫(定住)
1953年、東京に生まれる。立教大学文学部キリスト教学科卒業。
1991年、立教大学大学院文学研究科組織神学専攻博士前期課程修了。ウイリアムス神学館修了。
1997年、日本聖公会司祭按手。
2001年、英国教会福音伝播協会(USPG)奨学生として英国に留学。
コレッジ・オブ・ザ・レザレクション、マーフィールドにて礼拝学、教会論、アングリカニズムを学ぶ。
平塚聖マリヤ教会、逗子聖ペテロ教会、清水聖ヤコブ教会、伊豆聖マリヤ教会、小田原聖十字教会、清里聖アンデレ教会での勤務を経て、2021年4月から市川聖マリヤ教会牧師、市川聖マリヤ幼稚園チャプレン。
2024年3月にて定年退職するも、4月以降も嘱託として勤務。
2025年4月 平塚聖マリア教会 着任
翻訳:ジェフリー・ジョン『わたしたちの信仰―キリスト教会と人間』(聖公会出版、2005年)
項目執筆:鈴木範久監修『日本キリスト教歴史人名事典』(教文館、2020年)